なぜ『六ツ門』?地名に隠された久留米の歴史を紐解く

福岡県久留米市の中心市街地に広がる「ほとめき通り商店街」。その一角をなす「六ツ門(むつもん)」地区は、多くの人々が行き交う賑わいの中心地です。しかし、この特徴的な地名が、遠い江戸時代の記憶を今に伝えていることをご存知でしょうか?

普段何気なく歩いているこの場所の名前に隠された、時を超えた物語。今回は、久留米の歴史を紐解きながら、『六ツ門』という地名の謎に迫ります。

目次

江戸時代にタイムスリップ!『六ツ門』誕生の秘密

『六ツ門』の名の由来は、江戸時代、この地が久留米藩21万石の城下町として栄えていた頃に遡ります。当時、現在の六ツ門町周辺には、久留米城の南の出入り口として番所が設けられていました。[1]

この番所の門は、防犯上の理由から、毎日決まった時間に開け閉めされていました。その時刻が、江戸時代の時刻制度である「六つ時(むつどき)」。これは現在の午前6時頃と午後6時頃にあたります。朝六つ時に開かれ、夜六つ時に閉ざされる門。いつしか人々はこの門を、そしてこの一帯を『六ツ門』と呼ぶようになったのです。[2]

有馬豊氏が初代藩主として入城して以来、久留米城下は大きく発展しました。六ツ門は、城下町の活気と安全を守る重要な役割を担っていたのです。

城下町から商業の中心地へ。六ツ門の歩み

明治時代に入り、武士の世が終わると、六ツ門は新たな役割を担うことになります。城下町の面影を残しつつも、次第に商業の街へと姿を変えていきました。

昭和の時代には、百貨店の「井筒屋」やスーパーの「ダイエー」が進出し、筑後地方随一の繁華街として多くの人で賑わいました。この時代の活気を記憶している方も多いのではないでしょうか。[3] まさに、六ツ門の黄金時代でした。

時代の流れとともに、郊外への大型店の出店など商業環境は変化し、井筒屋やダイエーは惜しまれつつもその歴史に幕を下ろしました。しかし、街の歴史の灯が消えたわけではありません。例えば、六ツ門図書館では「カメラがとらえた久留米の100年」といった企画展が開催されることもあり、写真を通して明治から昭和にかけての街の変遷を辿ることができます。[4]

現代へ受け継がれる歴史と新たな魅力

かつての賑わいの中心地は、今、新たな魅力を持つ場所へと生まれ変わっています。

井筒屋の跡地には、文化芸術の交流拠点「久留米シティプラザ」が誕生。コンサートや演劇が楽しめるホールや、市民の憩いの場として親しまれています。また、ダイエー跡地には、商業施設とマンションからなる「くるめりあ六ツ門」が建設され、新たな人の流れを生み出しています。[3]

歴史を知ることで、普段見ている風景はより一層味わい深いものになります。久留米シティプラザのモダンな建物と、その場所に刻まれた城下町からの記憶。新旧が交差する六ツ門は、まさに久留米の歴史の生き証人と言えるでしょう。

まとめ

『六ツ門』という地名は、江戸時代の番所の門が「六つ時」に開閉されていたことに由来していました。城下町の一部として誕生し、商業の中心地として発展、そして現代では文化の交流拠点として新たな役割を担う。六ツ門は、時代と共にその姿を変えながらも、常に久留米の歴史と共に歩んできました。

次にほとめき通り商店街を訪れる際は、ぜひ『六ツ門』の歴史に思いを馳せてみてください。きっと、いつもとは違う街の表情が見えてくるはずです。


参考文献

[1] 久留米市. 「六ツ門(むつもん)の名前の由来を知りたい。」. 久留米市 よくある質問Q&A. 参照 2026-01-15.
[2] 六ツ門・あけぼの商店街. 「商店街について」. 参照 2026-01-15.
[3] トータス・ウィンズ. 「久留米の六ツ門(地名)の由来は?」. 参照 2026-01-15.
[4] 久留米市立六ツ門図書館. 「六ツ門図書館からのお知らせ」. 参照 2026-01-15.

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